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前橋地方裁判所中之条支部 昭和35年(わ)5号 判決

判  決

本籍ならびに住居

群馬県吾妻郡嬬恋村大字田代一〇一八番地

農業

松本沖太郎

大正八年九月五日生

右の者に対する脅迫、公務執行妨害傷害被告事件について当裁判所は審理を終結し、次のとおり判決する(検察官青木淳美出席)。

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は本判決末尾添付の別紙起訴状記載のとおりであつて、右の各事実は当裁判所の取調べた各証拠によつて、いずれも全部これを認めることが出来る。

しかしながら本件各犯行当時、被告人の心神は正常でなく、被告人は心神喪失者乃至心神耗弱者であるという主張がなされているので以下この点について検討する。

まず第一に、本件犯行当時被告人の心神の状況が正常であつたかどうか。

右の点については、本件について取調べた各証拠によつて、当裁判所は、本件各犯行の当時被告人の心神の状況は正常でなかつたものと認定する。

この点を端的に示すものとして、鑑定人医師小林直人作成の鑑定書の記載によれば、「被告人は躁うつ病の遺伝的原因を有し、幾分循環性気質の傾向を持つてをり、その発病は一五才乃至一六才頃で現在までに典型的な躁状態を示す五回の病相期をくりかえした周期性の躁病患者であり、その病相期には一致して職業を変更したり、飲酒癖を発揮したり、飲酒上の暴行を伴つたりしてをり、本件犯行は第五回目の発病時に当つてをり昭和三五年一月から同年六月まで継続した病相期間においてなされたものであつて、被告人は将来も同様の病相期をくりかえす可能性が多分にあり、現在(鑑定時)一時的に犯罪を自覚し、いかに自粛自戒して今後の禁酒を誓い、改悛の情が明らかであつても、今後再び病相期に入れば、必ず今までの病相期と同様の状態を再現し、飲酒を再開し、今回と同様の不祥事をくりかえすであろう、それ故、早期に精神医学的治療を行う必要がある。」としてをり、本件犯行当時、被告人の心神の状況が正常でないことを指摘している。

第二に、被告人は本件犯行当時において、心神喪失者なのか、心神耗弱者なのか。

この点について、右各証拠を対比検討した結果、当裁判所は、本件各犯行当時、被告人は心神喪失者であつたものと認定する。

前記鑑定書の記載ならびに、佐藤弘喜・市川一郎・松本守雄の検察官に対する各供述調書、被告人の司法警察員・検察官に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述等の各内容をそれぞれ考え合せて見ると、被告人は本件各犯行について事後、断片的又は部分的に周囲の人々とか事象乃至自分自身の行動を多少回想したり、記憶しているようであるが、そのうち本件各犯行の最も重要な部分について全然意識も記憶も持つていないことが明らかである、これは所謂否認乃至弁解の意図に出たものとは受取れない、むしろ被告人自身では自己の非行を認め、ひたすらあやまり、わびるという率直な気持でもつて、犯行後、周囲の人人から教えられて知つたことをも含めて自己の認識の如くに供述しようとする傾向があることが伺がわれる。

それ故、被告人は本件各犯行当時は一種の無意識的夢遊病者的な状態で行動しているものと考えられる。

これらの点は前掲各証拠によつて明瞭であるのみならず、被告人の兄弟三人が同様の病症(実兄富太郎は尊族殺にて起訴され公判係属中)を有し、実妹も同様の病気により自殺しているという悲惨な家族の病歴、生活史、被告人の行動歴などをつぶさに検討すると被告人は躁病期に這入ると是非善悪の弁識が出来なくなることが肯認される。

右のような諸点から被告人は本件各犯行当時、心神喪失者であつたものと判定する。

それ故、被告人の本件犯行はいずれも責任能力を欠く心神喪失者の行為であつて、罪とならないものであるから刑法第三九条第一項刑事訴訟法第三三六条によつて被告人に対し無罪の言渡をする。

昭和三六年六月二〇日

前橋地方裁判所中之条支部

裁判官 藤 本 孝 夫

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